プラスアクト感想その1.5

昨日の宿題くん、期待に背かず面白すぎました^^「潤!」とかね…智くんの肩抱きさくらいさんとかね…(デレッデレ)^^またちゃんとした感想エントリ上げたいと思いまーす!
今日はひとまず、先日…って言っても1ヶ月ほど前になりますが…の、プラスアクト感想1の補足めいたものを。相変わらず考察の域ではないグダグダ考え事レベルですが、今書かないともう書くかどうか分かんなくなると思ったので一応思考の記録として残しておこうと。またプラスアクトの感想書きたいです^^とか言っといてもうこんな時期…。



要するに、さくらいさんがアイドルという仕事を「嘘を付いている」仕事だと思っていない、「虚構」ではない、と言ってるうちは安心だなあと私は思うわけです。あくまで一個人の意見です。
青臭い意見ですが、自分のことを「自分のこと」として捉えているからこそ悩み壁にぶつかり、でも起き上がり這い上がり成長しようと足掻くんだ、と思っていて。自分の仕事が「虚構」になってしまったとき、それは「自分のこと」でもなんでもなくなって「他人事」になってしまう、と思うんです。「虚構だ」と感じていても成長しようとか、上を目指そうとか、そういった思考はある程度の熱量である程度の期間は持ち続けられるけども、しょせん「本当の自分ではない人間」のことなので耐え難い大きな壁が出現してしまったとき、それを虚構だと思っている自分の姿のまま乗り越えられるか、といったら否だと思うわけで。成長のための痛みじゃない、単なる苦痛にしかならない、もうつきあってらんねーよ、って虚構部分から逃げ出すかすっぱり切り捨てるしかなくなると思うんだよな。
どうやら昔のアイドルの人たちはいろんな人たちによってより「作りこまれていた」ようだし。私はリアルタイムでその頃のアイドルを観ていたわけではないので宿題くんにてきくちももこさんが「可愛らしくしてはいけません」っていう本来の自分を封じ込めるような売り出し方をされて、それがどうにも無理だった、といったようなことをおっしゃっていたことなど参考にして考えてみたわけですが、だから昔のアイドルは短命な人たちが多かったのかなあと。本来の自分とは全く相容れない人格、言動を押し付けられて、仮面を被らされていた人も多かったのではないかと。本来の自分と「虚構」だと感じる自分が大きく齟齬をきたしてしまって、最終的には崩壊してしまっていたのではなかろうか。にのさんが「アイドルは寿命のある職業だ」と言っていたし、いずれあらしが今のあらしの形態ではなくなるときやアイドルを卒業するときが来るんだろうけども、それでも昔よりはその寿命がものすごく延びたんじゃないかと思う。
寿命が延びた理由、「偶像」であって「偶像」でなくなった理由としては、アイドルとして「これは言っては駄目」「これはしては駄目」といった縛りは当然存在しても、事務所側から「こういうキャラクターで行け!」とごり押しされなくなった(だろう)ことが大きいんじゃないかなと。たとえアイドルとして作りこんでいてもそれが自分で設定した「アイドルとしての自分」のキャラクターだとしたらそれは「他人」ではなく「自分」であるわけで。私のことに手繰り寄せて考えてみると、「家族に見せる自分」と「接客するときの作りこんだ自分」は別人格かと言いたくなるくらい違うけども、どちらも本当のありのままの自分であることに違いはないと感じているのと同じことだと思うんですよね。
だからさくらいさんが「虚構でない」と言っている間は「ああ…ある程度自由に自分のやりたいことをやりたいようにやれてるんだな、やらせてもらってるんだな」と安心できるというか。当分「アイドルがどれほどかみせてやるよ!」とギラギラほえ続けてくれそうだなというか。いくら「インタビュー記事なのに自分が言ってないことまで書かれた」または「ニュアンスが全然違う!」と頭にきたという記事を読んでも、それでもさくらいさんは諸々のことを飲み込んだ上で納得してアイドルの仕事してるんだなあと思える。これでさくらいさんが「虚構…かも…」とか言い出した日には私は「えええどうしたどうした!!なにかどうしても嫌なものでも強制されたのか…!!」「まだアイドルでいてね><やめないでね><」とオロオロすると思う、確実に。これはあくまでさくらいさんの場合であって、たとえばにのさんの場合もうちょっと違う見方しないといけないと思うけど。にのさんよく嘘つくからね…彼の虚構とそうでないものの判断は難しいんだ…。
でも、肝心なのは、私たちが見ているぶんにはアイドルは「虚構」であり「偶像」なのだと頭の隅に置いとくことだと思う。そこを勘違いするとちょっと危ないかなと。あくまで夢を売っているアイドルさんである彼らのごく一部の情報とよりキャラクター化された彼らの言動によって、それを完全なる「実像」と判断するのはかなり…危険と思うので。彼らにとって自分の仕事であるアイドルは「実像」の一部だけども、私たちから見たアイドルの彼らは「虚像」であり「偶像」であるってことは忘れないでいたいと思う。


ここまで書いたのは全て私の一意見ですので。たぶん全く180度違う考え方の方もいらっしゃると思うし、それは否定の対象ではなく興味深い考え方だなあと受け取ると思う。この「虚構か否か」についてはこれからもグダグダ考え続けると思うので、またエントリすることがあるかもしれません。そして、以前のプラスアクトエントリのときにコメントにて「ぴあ」に載っていたキンキさんのインタビューも読んでみると面白いかもしれませんとおススメしてくださった方がいたので、そちらも読んで参考にしてみました。ありがとうございました!すーごく興味深かったです。偶像としてのアイドルについてのつよしくんの言葉にも考えさせられたけども、他にも「二人であること」についての記事がすごく面白かった。これからさきはあらしと関係ない話になるので恐縮ですが、私はあらしと同時にWaTも応援しているとちょこっと書いたことありますが、やっぱり「二人」っていうのはごまかしがきかない関係であるぶん複数人グループに比べて「ごまかしがきかない」という部分でいろいろとあるよね…と思ったり。複数人(三人以上)なら複数人なりの大変さはもちろんあると思うけど(どう目立つか、とか)。二人だと、ファンの方でも派閥みたいなのできやすかったりとか…いろんな妄想の餌食にされやすかったりとかまあいろいろ…ね。ここでそれ語りだすと場違いになるしとんでもなく長くなりそうなのでやめときます。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!