プラスアクト感想その1―虚構か、否か

結局昨日、ええい封印をいざ解かん!と深呼吸しながらプラスアクトが入っている紙袋に手をのばしたのが午前2時。まあ言っちゃあ今日ですね、すでにね。封印していた紙袋から取り出すのに無駄に緊張して深呼吸とかしてみたよ^^どんだけ大事なの。ということで感想いきまーす。「考察」にしようか迷ったけど、考察っていうほど筋道立てて考えてないので「感想」という枠で書きたいと思います。
今回は「虚構」というキーワードについて私の思ったことをつらつら書いてます。インタビュー読み終わってパッと思ったことなので、全然考えがまとまってないし途中グダってますが、今思ったことを残しておきたいと思ったので書いてみました。「感想1」なので今後「2」とか「3」を書くかもしれないし、書かずに終わるかもしれません。多分書くと思うけど^^だって1回じゃ語りきれないから><それでは続きます^^





さくらいさんが「虚構とか“嘘をついてる仕事”とか…俺はあんまり思ってないから」と答えているのを読んで最初に思ったのは、さもありなん、ってことで。というのも、私の認識として、アイドルという特殊な仕事であろうとなかろうと、どんな人だって様々な面を持っている多面体だ、というのがあって。親しい間柄の人、そう親しくない人、嫌いな人、大好きな人、いろんな人との様々な関係性の中で、誰しもその時々に応じた仮面をかぶって生活してるわけで。人によってかぶる仮面の数が多いか少ないかの差はあれど、誰に対しても、どんな状況でも、寸分も接し方や態度を変えない人なんていないと思うし。いても困るし。だって仕事してる最中にあらしモエ><みたいなテンションと全く同じ感じで居てもらったら困るわけで。バイト中ならバイト中仕様の笑顔と敬語で塗り固めた仮面かぶってる自分が居て。
でも、私はバイト用の仮面をかぶっている自分を「虚構の自分」とは思わないし、自分の中の一形態、一側面だと認識しているし。確かに偽りの自分ではあるけれど、じゃあそれが虚像かと言うとそうではなくて、自分を偽っている自分もまた本当の自分であり実像である、という認識なんです。だから、本当の自分とは、実像とは、って問いは愚問だと思っているし。グダグダしてる自分もあらし大好き><と悶えまくってる自分もバイト用に作りこまれた自分も友人間で馬鹿笑いしてる自分も嘘をついている瞬間の自分であっても、その全部が実像であって、虚像ではないし虚構でもないと思うのです。
だから、さくらいさんが「虚構ではない」と言っているのは、分かる気がする。アイドルをしているときのさくらいさんは、芸能界と全く関係ない友人達と一緒に居るときのプライベートのさくらいさんとは絶対に違うと思うし。態度も言葉遣いも顔つきも。でも、たとえばじゃあアイドル仕様の自分は虚構なのかって言ったら、それは違くて、それはアイドルという仮面をかぶっている紛れもないお仕事用の実像であり、本当の自分であって。だから「嘘をついてる仕事」だとは思っていない、ということなのかなと、思った次第です。で、芝居は虚構じゃないの?と聞かれたときさくらいさんが言葉に詰まってしまったのも、たしかに自分とは違うキャラクターを演じているんだから作られたフィクションであるし虚構な訳だけども、演じている自分は「演じている自分」という実像であるし…というのが訳わかんなくなったのかな、と、そう思ったり。
で、あえて虚構というものがあるとすれば。それは私含むファンや、さくらいさん以外の人が持っている「さくらいしょう」像の中にあるのかなと、思うわけです。百人いれば百人百様の「さくらいしょう」像を持っていて。ありえないと思うけどもしさくらいさんがヲタから「さくらいさんってこんな人だと思います><」っていうのをひたすら聞く機会があったとして、そしたらそこで示された「さくらいしょう」像には、さくらいさんだって「いやいやそれあなたの創り上げた虚構だよ^^」って思う可能性があると思うんだ。ていうか確実に思うと思うんだ。でもさくらいさんが自分で自分のことを「この自分は虚構だ」って考えることはない、と思うんだよな。

うーんなんだかすーごく分かりにくい文ですね。自分でもちょっと混乱してきた。まとまってない文にここまでおつきあいくださった方、いらっしゃいましたら本当にありがとうございます><